ロボットアームの落としていった人工食料が、カランと音をたてた。 わたしはそれを聞きつけて、作業を止めるべきかすこし悩んだ。 ハンターズギルドへ提出するレポートは、今日中に仕上げなければならない。 今日中、あと3タルム内にだ。 シティの食事統制は徹底しているが、別段、食事を摂るのが1タルム遅れたからといって、どうということはあるまい。死ぬわけでもないし。 わたしは一人で合点して、背後の食料供給ボックスを振り向かないことに決めた。 宙に浮かぶスクリーンキーボードへ、再び指を走らせる。 「……食事の時間よ、Mickey」 ち、と舌打ちしそうになった。 ベッドに横になっていたhiropiが、いつの間にか起き上がってわたしを見ている。 その短い耳で、よくあの小さな音が聴こえたものだ。それを忌避して音声システムをサイレントにしているのに。 わたしの考えを読んだかのように、hiropiが言った。 「音は聴こえなかったけれど、私を含め、シティ市民は食事の時間を身体で覚えているものよ」 わたしは答えず、肩をすくめて立ち上がった。 わたしの"シティ市民らしからぬところ"を否定する彼女の口ぶりに、常のように反抗するのがおっくうだったのだ。 食糧供給ボックスを覗き、二人分の人工食料が転がっているのをみとめた。 正四角形のプリズム。パステルカラーの光が乱反射する物体。 角砂糖のサイズながら、満腹中枢を刺激する物質が織り込んであるため、これ一つで一日空腹を覚えることはない。 一つをhiropiに放り投げて、もう一つを指につまんだわたしは呟いた。 「美味しいんだけれど、味気ないわよね」 「矛盾してるわ」 フォトンの刃のような冷たさで、hiropiが指摘する。わかってるわよ。 「あのね、地球では、自然から採取した植物や動物を、焼いたりしてたって」 「そうね」 「ちょっといいよね」 「残酷じゃないの」 「これ、焼いたら、どうなるんだろう」 本星コーラルの"10カ国連盟"が、その発足と同じくらいの時間をかけて開発・進化させてきた食料だ。 人体に害を及ぼすようなことはないだろうが。 hiropiはとっくに食べ終わり――歯や顎を退化させないため100回は噛む必要があるよう作られている――ベッドのふちで優雅に足を組んだ。 「焼いたら、ね。レアならきっと大丈夫よ」 「……?」 意味がわからず首をかしげるわたしに、hiropiは、肉の焼き加減をあらわす太古の言葉について教えてくれた。 太古の言葉、すなわち地球の言葉だ。 永遠に失われた、わたしたちの母なる星。銀河の人類すべての元を辿れば、行き着くという地球。 わたしと違って、hiropiは、あまり地球に興味をもっていないと思っていたので、意外だった。 「軍のデータベースを覗いて、地球食について調べたことがあるの。 ラグオル降下にあたって、原生生物を捕食するようなサバイバル環境に陥るかもしれないと」 「パイオニア2の乗船訓練のときにそういうレクチャー、少しだけあったけど……」 軍のデータベースにアクセスできたということは、パイオニア2の乗船前のことか。 彼女の先見の明に舌を巻いた。 なにしろ当時ラグオルは、パイオニア1による開拓が順調であり、おおむね安全だと思われていたのだ。 わたしを含め、パイオニア2の人間はなべて、セントラルドームで人工食料を摂る日々が来ると想像していた。 乗船時のサバイバル・レクチャーが役立つ日が来るなどとは考えていなかった。 ……hiropiを除いては。 あらゆる事態を想定に入れて動く、hiropiのリスクマネジメントは完璧だ。 「仕事、中断してるわよ。いいの?」 わたしはようやく人工食料を口内に放り込み、乱暴に噛み砕こうとした。 システムや決まりごとに対して無駄に抵抗を試みるのは、わたしの常だった。 「手伝ってよ、hiropi」 「どうして私が貴方の仕事のレポートを手伝わなくちゃならないの」 「つれない女ね。ケチー」 組んでいた長い足をのばし、hiropiはベッドに横たわった。 ベッドサイドのコンソールで、壁スクリーンを雨の映像に切り替えて、くつろいでいる。 部屋全体が青く淡い光で満たされ、わたしは水中にいるかのような気分になった。 これでは、端末に向かっているわたしのほうが仕事人間で、彼女が怠け者のようだ。 ちょっと可笑しい。 パイオニア2の中で割り当てられたハンターズ用の居室。 ここで共同生活を送るhiropiは、不思議な女で、つかみどころがなく、わたしに心を開かない。 一年前、パイオニア2の乗船セレモニーで初めて会ったとき、抱いた印象と変わっていない。 連盟軍のエリート中尉という肩書きを捨て、その日暮らしのハンターズになった、変わり者の女。 軍部と確執があったという噂があるけど、真相は分からない。 規律を重視するシティ市民の鏡のような彼女が、軍部と対立するような問題を起こすものだろうか……。 書籍端末に視線を落とす彼女の横顔を見て、思う。 もしわたしが、生まれるときの遺伝子操作で男になっていたら、hiropiとセックスしたいと思っただろうか。 彼女の女性らしい ――人間らしい?―― 一面みたさに。 それとも、くだらない征服欲を満たすために。 ニューマンは生殖機能をもたないので、子を成すことはできないけれど。 少し考えて、いいや、と打ち消した。 わたしにとって、hiropiはそのままでいい。 彼女は"本物"であり、"真実"だ。神秘のヴェールをまとっていても。 わたしに対して開かれなくても、彼女の中には揺るぎない彼女自身がある。 わたしの憧れる、わたしには手の届かない、確固たるものがある。 レポートの執筆が進まない。 わたしが指を離すと、スクリーンキーボードはヒュッと電子音を鳴らして消えた。 壁に近づき、一ブロック分のスクリーンだけを透過設定に切り替える。 黒く、静謐な、宇宙。 ラグオルの赤い衛星が佇んでいるのが見える。 今の時間、ここからではラグオルは見えない。シティに出ないと。 「ちょっと、シティに行って来る」 「……そう」 hiropiは書籍端末から顔を上げ、少し気がかりそうに眉を寄せたが、止めはしなかった。 彼女はいつもそう。わたしが助けを求めれば、手を差し伸べてくれる。わたしが離れようとするなら、追わない。 転送装置を使い、シティに移動する。 シティ内のハンターズギルドは、壁の巨大スクリーンに常に外の光景を映し出している。 わたしたちが今いる場所を忘れさせまいとでもいうように。 ここは宇宙、わたしたちは宇宙の放浪者。安寧の地を探し求めてさまよう子羊の群れ。 時間が時間でもあり、ハンターズギルドは無人だった。 シティ市民のお行儀の良さがありがたい。わたしはスクリーンに近づき、透過壁に鼻面を押しあてた。 ラグオル。母なる星によく似た、青い星。緑と水の星……。 ここからラグオルを見るたび、わたしは胸が苦しくなる。 いつだったか、部屋の中からラグオルを見て、声を殺して泣いたことがある。 ナイトサイクルの終わりで、hiropiはまだ隣のベッドで寝ていると思っていた。 ……気がつくと、暖かな腕に背中から包まれていた。 彼女はなにも言わず。デイサイクルが始まるまで、ずっとそのままでいてくれた。 わたしは安堵して、ヒューマンの子供が子宮の中にいるときのイメージを思い描きながら、眠りに入った。 hiropiも、地球も、ラグオルも、わたしからすれば全てがまぶしい。 "彼女たち"はすべて本物だ。 本物。真実。そうであるだけで尊いもの。わたしは……。でも、わたしは……。 ニューマンであるわたしだから、人に造られたわたしだから、ラグオルに焦がれるのか。 ラグオルの土、空気、木、荒々しい生命の脈動に。 ここにあるのは、シティにあるのは、人工食料、 スクリーンによる季節・天候の移り変わり、アンドロイド、 ナイトサイクルとデイサイクル、人工授精、人造人間。孤独。 ちがう。 わたしがヒューマンであっても、わたしはhiropiではなかっただろう。 わたしはhiropiには、ラグオルには、地球にはなれないのだ。 だからこそ、こんなにも……。 透過スクリーンを、涙が伝っていく。 この気持ちを鎮めて、わたしは明日も剣を振るうだろう。 ラグオルで。あの緑の森で。 そうしているうちに、わたしも、いつか……。 |