-1-

  夜闇を切り裂いたカタールが、鈍色の軌跡を残す。
  キリンの一撃は、常に正確無比だ。狙いは違わず、そのあぎとから逃げられた獲物は存在しない。
  アサシンとして組織に所属するようになってからは、さらに正確さに磨きがかかった。
  繰り出す攻撃は敵にとって致命的な一撃である。多くの手数は必要ない。
  仕留めればすぐに、キリンの鋭い瞳は次の獲物へ移った。今も。

  切り倒したアノリアンの後ろで、控えていたもう一体が咆哮をあげる。
  大きく開かれたアノリアンの口内には、鋭利な牙がびっしりと生えていた。
  キリンの喉笛を狙って迫るそれに、ためらいなくカタールを叩きこむ。
  刃は、あやまたずアノリアンの喉元深くへ押し込まれ、次の瞬間には顎を砕いていた。

  強く込めていた力を抜いて、キリンは一息つく。
  アノリアンの死骸からカタールを抜き取ろうとしたとき、わずかに空気が揺らいだ。
  はっとする。視界の端に、新たな敵があらわれ――牙を剥く姿が映った。
  その牙が向かう先は、自分ではない。

 「チエロ!」

  後方に声をかけるのと、濃霧が敵を包み込むのとは同時だった。
  急激に悪くなった視界に戸惑い、挙動のおかしくなったアノリアンに、一つの影が踊りかかる。
  白い外套がひるがえった。
  キリンのときと同じく時間はかからない。霧が晴れたときには、アノリアンは地面を舐めており、
  影は何事もなかったかのように泰然と立っていた。

 「今日の分は終わりだな」

  キリンがそう声をかけると、チエロは顔を俯けたまま頷いた。
  その手には、アノリアンの血に染まったダガーが握られている。

  血濡れたダガーを見るたび、キリンの脳裏をよぎる記憶があった。
  魔術師であるはずのチエロは、魔法をほとんど使わない。
  先程のクァグマイアのように補助的に使われることはあっても、一般的な魔術師のように、
  炎や冷気の大魔法を編んで敵にぶつけるようなことはしない。
  そのほうがずっと効率的ではあるはずだ、モンスターを倒すことで報奨の日銭を得る冒険者としては。

  だから、彼の戦い方を見た人々は尋ねる。「なぜ魔法でなく剣で戦うのか」と。
  飽きるほどに繰り返されたその質問に、チエロはいつも曖昧に微笑んでごまかすだけだった。
  だが、あるとき、同じことを尋ねたキリンには、少し逡巡する様子を見せた後、このように答えた。

 「魔法では、殺したという感覚が湧かない」
 「……?」
 「剣なら……、嫌でもこの手に伝わってくる。肉を裂く感覚が。血の香りが」

  それを感じることが、この手にかけるモンスターへの一種の礼儀のようなものだ、と彼は言った。

 「礼儀、ね……。わかるような、わからないような」
 「私たちは、縄張り争いをしているだけだからね」

  この美しい世界をかけて、モンスターの軍勢と人の軍勢は何百年も争っている。

 「彼らは絶対悪などではないし、人間が正義というわけじゃない」

  いつもそんなことを考えていたら、足をとられて動けなくなりそうだ、とキリンは思う。
  元来、深く物事を考えるのは苦手な性質だ。だから「ふぅん」と流して、その場はそれでおしまいだった。

  なのに、その記憶は、こうして戦いの後、血の香りと共に沸き起こる。
  キリンの胸にも何かが引っかかっているのだ。
  その正体はまだ掴めないけれど。


-2-   キリンの黒いコートは、夕闇に最も良くまぎれる衣装として仕立てられていた。   アサシンギルドからの支給品だが、手を加えてある。   暗殺の仕事を為すとき、カタールの刃が迫る直前まで、キリンの姿は対象に気づかれることはない。   衣服は暗闇に同化し、足音は殺されている。   だが、逢魔が時の今プロンテラの裏路地を歩くキリンに、この場所に似つかわしくない可愛らしい声がかかった。  「キリン」   呼びかけられたキリンは足を止め、そちらに視線を向ける。  「やあ、ターナ。よく俺に気づいたね」  「ターナは夜目がきくんだもの。それにそれに……」  「うんうん、ターナは俺のこと大好きだもんな?」  「もうっ! キリンったら……」   微笑みかけるキリンの整った顔をみて、少女はぱっと顔を赤らめた。   切れ長の目を細めてじっと見つめれば、女性は一様に同じ反応を示す。   キリンにとっては慣れた反応だが、女性のはにかむ姿というのはいつ見ても可愛らしいものだと思う。  「ターナを探していたんだよ」  「本当?」  「うん、これをプレゼントしたくってさ」   キリンの手にある青いリボンを見て、少女――ターナは大きな瞳を輝かせた。   彼女の絹糸のような綺麗な銀髪をひとふさ手にとり、結ってやる。   キリンの少し骨ばった手が髪に触れたことで、ターナはますます赤くなって目をうるませた。  「あ、ありがとう」  「すごく似合ってるよ。ターナの銀色の髪には、この色が合うと思ったんだ」  「嬉しい、えへへ……」   ぎゅっと胸にとりすがるターナを、あやすように抱きしめる。   忍び寄る夜の気配のせいか、冷たくなった肌を温めるようにさすってやる。   露天商として生計を立てているというターナとは、この路地で知り合った。   彼女は、一人で物憂げに立ち尽くしていた。   ふと目がかちあって、その捨てられた子犬のような眼差しが気に止まり、思わず声をかけたのがきっかけだった。   ここのところ商品の売れ行きがよくないのだという。   親はいないようだった。きちんと食べていけているのか、心配だった。   彼女はここのところ毎日のように、仕事が終わった後もこの路地に立って、キリンが来るのを待っている。   ここで会って、宿に入り、暖かい食事をごちそうして、旅の話を聞かせてやって談笑する。やることもやる。   孤独な彼女の慰めたれれば、と思い、いつになくキリンは足しげく一人の女のもとに通い続けている。   今日もいつものように、安くてうまい食事に舌鼓を打ち、夜がふけたころ二階の部屋にあがった。   扉を背にした途端、ターナが身を寄せてきた。   応えるように腰を抱いて、もう片方の手で顎をとる。そっと唇をあわせると、ターナのそれからはため息が漏れた。   口づけを深くするうちに、急に視界がゆがんだ。目の前のターナが、部屋が、二重にだぶってみえる。  「……」   思わず頭を抑えた。ここのところ、このようなめまいはキリンにつきまとっていた。   日を追うにつれ、ひどくなっている気がする。体もなんとなくだるい。   ターナと会っているときは、特に。  「キリン? 大丈夫?」  「あ、ああ。ちょっと疲れていて」  「無理、しないでね……」   心配そうに眉をひそめるターナに、微笑んでみせる。   彼女には、幼さと、それに相反するはずの大人の色香がどちらも感じられた。   どちらも好ましいものだったが、特に幼さは――寂しさを隠せないその素直さは、   キリンに多少の無理をおしてでも逢瀬を重ねさせるだけの力を持っていた。   すべてを忘れるように、彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
-3-  「どこへ行く?」   立ちふさがったチエロに、まっすぐ見据えてくる瞳に、逃れられないとキリンは悟った。   魔術師のチエロとは、付き合いはそれほど長くない。   お互いに、知らないことのほうが多いと言っていい。   キリンは、彼がどのような生い立ちを背負い、なぜ冒険者として戦いに明け暮れる日々を送っているのか、その理由は知らない。   だが、相棒として背中を預け、ともに戦う仲だからこそ、わかることもある。   寡黙で、人にあまり積極的に関わろうとしないチエロ。   そんな彼が自ら動くときは、なまなかなことでは引かないのだ。   実際、キリンの姿が写り込んだ青い瞳は、有無を言わさない何かを持っていた。  「……」   こんな時なのに、(綺麗な目したやつだなー)と緊張感のないことを考えるキリンだ。  「どこって、仕事も一段落したし。帰ろうかと」  「そっちは家の方向じゃないだろう」  「寄るとこあるんだよ。なにか問題でも?」   目を細めて見上げて、しまったと思った。   問いかけるのではなかった。言葉をにごしてさっさと立ち去るのが正解だった。   チエロはうなずく。彼はとても直截だ。  「最近あまり帰っていないんだろう?」  「……」  「エスペランサちゃんがとても心配していた」   そして、痛いところをついてくる。   同居するエスペランサは、キリンにとって妹のような大事な存在だった。   彼女の名前を出されては、ぐうの音も出ない。  「それに……様子がおかしい」  「どこが」  「どことなく上の空で……カタールを振るう動きもいつもより一瞬遅れてた。顔色も悪い」   人のことをよく見てるなぁ、とキリンは呆れる。   正直にいって甘く見ていた。   背中合わせで戦うことが多い二人だから、多少体調が悪くても気取られたりはしない自信があったのだ。  「気のせいだろ。いや。気のせいじゃないにしてもさ。仕事は仕事でちゃんとやった」  「それは、そうだが……」  「だったらいいだろう。どいてくれよ、俺だって暇じゃないんだから」   常のキリンなら、こんな切って捨てるような言い方はしない。   だが、体に深いおもりをかかえたような今の状態では、自然に言葉がきつくなった。   まだ言い募るチエロに、苛立ちが湧いてくる。  「なにがあった? ……私にできることだったら」  「別に。何もない」   苛立ちを飲み込んで、チエロの側をすり抜けようとする。   と、肩を掴まれた。   大きな手のひらは、キリンの華奢な肩をすっぽりと包み、   魔術師らしからぬ鍛え抜かれた腕の力は、キリンの動作を押しとどめた。   頭のすぐ上から、諭すように、落ち着いた声が呼びかける。  「キリン」  「っ……なんだよ、離してくれよ。お前には、関係ないだろ!」  「……!」   思わず言い放った一言が、チエロをどのように切り刻んだのか、はっきりと分かった。   目が見開かれ、唇が震えた。端正な顔から血の気が引いた。   見ているこっちが痛くなるような表情だった。   キリンは言葉を失う。  「あ……」   どうしよう。   こんな顔をするとは思わなかった。   言ってはならない一言だったのだ、チエロにとっての地雷だった。だが、こんな台詞が?    戸惑いと、焦りで二の句がつげないキリンに、チエロはそれ以上何も言わなかった。   彼の姿はテレポートでかき消えた。魔法の残滓だけが、花のように残った。  「……、くそ……」   残されたキリンは毒づいて、首を振る。   周囲を心配させて、振り回している自覚はあった。   エスペランサやチエロは、さすがにキリンに近いだけあって聡い。   だが、どうしても事情は話したくなかった。   周りを巻き込んではいけない。   それに……きっと、暴かれる。暴かれてしまう。   プロンテラの夕闇の中、今にも切れそうな細い糸で繋がれている、彼女のささやかな秘密など。   チエロのあの瞳の前では、たやすく。
-4-   裏通りの雑踏も、星の落ちかかるこの時間になると、絶えて久しい。   ぴんと張られた弓弦のような静けさが支配している。   しかし今夜、この静寂を割って発する言葉は、それ以上のなにかを壊すことになる。   いつもよりもずっと遅い時分だったが、ターナはそこにいた。   レンガ壁に背をもたれさせ、人待ち顔に。   キリンの姿を認めると、その頬にさっと朱が掃かれる。   キリンに駆け寄り、抱きつこうとしたターナは、その寸前いぶかしげに立ち止まった。  「キリン? どうしたの?」  「……」   キリンは、迷いを振り払うように言う。  「もう会えない。さよならだ、ターナ」   放たれた言葉は、夜を裂く一条の矢となった。   紡ぎあげてきた幻想が壊れる、みじめな音がする。   硬直したターナの震える唇から、絹を裂くような悲鳴さえ聞こえた気がする。  「どうして?」   実際に音となったのは、衣擦れのような微かな囁き。  「どうして?」  「ターナにだったら、俺をあげてもいいかもと思ってた。   ……けど、どうやらそういうわけにもいかないみたいだ。   なんにだってある終わりの一つだよ。ごめんな」  「いつから……?」  「つい最近だよ。ターナに会うときに特に、体の調子が悪くなってきだしたから」   ターナは沈黙して、目を伏せてしまった。   その肩を抱き寄せて、慰めてやるのは簡単な距離だ。だが……   うつむいたターナの銀色の髪は、リボンで後ろにまとめられている。   キリンが贈った、青地に白の刺繍がされたリボンだった。   初めから、似合うだろうと思って贈ったものなのに、はっとさせられる雰囲気があった。  (やっぱり。綺麗だな……)   そのせつな。キリンをきっと振り仰いだターナの瞳に、底知れぬ闇が宿った。   少女の可憐な目線は露と消え、あらわれたのは――   紛れも無い魔性の、ひとにらみ。   息を呑む。背筋があわだつ。   回避しようとしたときには、もう遅かった。   いつのまにやら、異常に長く、鋭く伸びた爪が、鼻先まで迫っていた。  「――っ!」   視界いっぱいに広がった鉤爪を見て、終わりだ、と思う。   どこかほっとしている自分がいることに、キリンは気がついた。   だって、仕方がない。これだけ近い距離で、このような攻撃にあっては、避けられるはずがない。   だから仕方がない。これはわざとではない。彼女の慰めのために、彼女の物になろうとしているのではない。   息を吸い込む。次に吐き出そうとするときには、すべてが終わっているだろう。   キリンは運命の一瞬を待った。   だが、次の一瞬に空を舞ったのは、血ではなかった。   内蔵まで凍えるかのような、吹雪!   白く、青くきらめくダイヤモンドダストが踊り、目の前のターナの体が氷柱の中に捕らわれる。   キリンは、体勢を立てなおした。カタールを握り直し、動けぬ敵へ躍りかかる。   これはいつもの手順だったから。敵が凍って、そして。   考えるよりも先に、体が動いた。   カタールは、中に閉じ込められた悪魔ごと、氷柱を叩き割った。
-5-   曇天と思わせた空は、昼をまたぐころには、すがすがしいほどの晴天となった。   強い日差しが、痛いほど肌に照りつけてくる。   その光から守るように、キリンは手にしていた小箱をふところにいれた。   先ほど、このプロンテラに溢れかえる露店のひとつで買い求めたものだ。   中には、昨晩の戦いの後に残された青いリボンが入っている。  (一緒に持っていってくれればよかったのに)   とはいえ、そのリボンをそのままそこに残していくほど、キリンは冷酷ではなかった。   そして、目に付くところに置いていて平気なほど、したたかでもない。   可愛らしくラッピングされた箱に収まり――開封される日はおそらく来ないだろう。  「せっかく似合っていたのになぁ」   ため息をひとつつき、家路につこうとしたキリンは、はっと足を止めた。    首都の騒々しい人いきれの中、ひときわ高い上背に、気取った黒い帽子をかぶった姿がある。   うーんまいった、と思うと同時に、彼は振り向いた。   赤い前髪の奥から、邪気のない青い瞳が見返してくる。  「キリン?」   見つかってしまった。キリンは内心で肩を落とす。  「今日はずいぶん暑いね」  「――そうだな。何してたんだ?」  「魔術師ギルドのお使い、かな」   ひらひらと領収書の紙切れを振って、チエロは答える。   露店のつらなる通りを、二人は肩を並べて歩き出す。   なんと声をかけたものやら。キリンは昨晩のことを思い出していた。   決着がついた後、周囲をうかがったが、人のいる気配はすでになかった。   それでも、あのストームガストの魔法は、間違いなく、傍を歩く男の唱えたものであると思う。   決定的な証拠があるわけではない。が、あまりにも自然だった。   いつも、二人で強い相手に挑むときの動き、雰囲気、連帯感そのものだった。   おそらくキリンの様子を不審に思い、後をつけていたのだろう。   結果的に助けられた。手間をかけさせてしまった。   謝るべきだろうか、礼を言うべきだろうか。   どうしたものやら。  「あの、さ。昨日のこと……」   しばらくうなるように考えこんでいたキリンは、ようやく口を開く。   が、もやもやとした言葉は形になる前に霧散した。   眼の前に、甘い香りをはなつアイスクリームが差し出されたからだ。   キリンが悩んでいる間に、隣の露店で買い求めたらしい。   差し出した男の顔には、いつもと変わりのない微笑がある。   キリンは、苦笑しながら受け取った。   きつい日差しに、アイスクリームはすでに溶け始めている。   チエロはおそらく、遠慮は不要だと言いたいのだろう。   このアイスクリームのように、キリンの中に降り積もったものが、自然と溶けていくのをただ待てばいいのだ。   考え込むキリンをよそに、先にアイスクリームかじりついたチエロは、うぅんと唸って渋面になった。   「……ちょっと甘い、ね」  「そりゃ、アイスだし。甘いの苦手なくせに、チャレンジャーだなー。俺はけっこう好きだけど」   キリンも、溶け出した部分を舌ですくうようにしてかじりつく。   途端に、口の中いっぱいに甘い香りが広がった。   そういえば、ターナも、宿の食事についてきたデザートのアイスを美味しそうに食べていたっけ……。   嬉しそうな表情が脳裏によみがえり、鼻の奥が痛んだ。   恐らく彼女の正体は、夢魔と呼ばれる類の悪魔だろう。   その多くがするように、夢を見せられて一夜のうちに命を奪われるようなことはなかった。   なぜだかは分からない。どんな思惑があったのかも。なぜ明らかに一般人ではないキリンをわざわざ相手としたのかも。   分かるのは、キリンの面白おかしく脚色した冒険談に、大きな口をあけて笑っていたターナの姿が、偽りではないということだけだ。  「あっ! チエロ兄ちゃんだ!」   明るい声におもてをあげると、人ごみの奥に、若い騎士とプリーストの姿があった。   本日二度目の唸り声をあげるキリンだ。   プリーストは、最近まともに顔を合わせていなかった同居人のエスペランサだった。   騎士のほう――シエルは、兄であるチエロのもとに走りよっていった。   残されたエスペランサとキリンの間には、微妙な距離がある。   キリンは彼女の表情をうかがった。   あどけなさを残した少女の顔には、不満や憤りのかけらも見受けられなかった。   優しげに目元をほころばせ、「キィさん」と呼びかける。   「無事で……よかった」  「エス……」  「よかった、本当に……。とてもとても心配だったけれど、ちーさんが。   キィさんは必ず戻ってくるから心配しなくていい、って、言ってくれたから、私……」   言い募るエスペランサの目の端に、じわりと涙が浮かんだのを見て、キリンはおおいに慌てた。  「ご、ごめん。本当にごめんな。もう家を長く空けるようなことはしないから」  「危ないこともしないって……言ってください」  「……」   夢魔のかぎづめを眼前にして、安心したようにすべてを諦めかけたときのことを思い出す。  (すごい罪悪感だ……)   キリンは額を押さえ込んだ。   だいたいが無理な約束だった。冒険者で、かつ、暗殺の仕事も請け負うキリンにとっては。   だが、世の中には罪にならない嘘というものがあるはずだ。  「ああ。約束するよ。心配しないで、エスを一人にしたりなんかしない」  「キィさん……」   溶けかけのアイスを握ったままだったので様にならないが、できるかぎり安心させるように微笑む。   涙をぬぐったエスペランサは、花がほころぶように笑った。   暖かい。彼女の笑った顔には、思わずまわりの気持ちも和ませる力があった。  「エスペちゃん、よかったね」  「うん……!」   シエルがにこにこと、アイスクリームをエスペランサに差し出す。   今の間にチエロがもう二人分を買い求めたらしかった。   四人で、近況について話しながらアイスクリームを頬張る。   ここしばらく感じることのなかったような、穏やかで、ゆっくりした時間だった。   ふと、シエルがキリンを見ながら、思い出したように言った。  「それにしても、昨日のチエロ兄ちゃんの顔ったらなかったよ。   最近キリン兄ちゃんが夜な夜な、必ず、同じ女の人と裏路地で会ってるって言ったらさ、   ダガーひっつかんで血相変えて飛び出していったよ」   べしゃっ。   石のように固まったチエロの手から、アイスが滑り落ちた。   無残な音とともに無残な姿をさらしている。  「……」   えーと。   キリンはとりあえず、シエルのほうから片付けておくことにした。  「いや待てシエル。なんでお前がそんなこと知ってるんだ?」  「……あそこ、騎士団の詰所の裏手だよ?」  「……そうだったのか」   騎士団なんて、キリンにはまるで縁がないので知らなかった。   エスペランサは相変わらずにこにこと笑っているが、なぜか少し怖い。  「それで兄ちゃんがね」  「シエルッ……!」   まったく場の空気を読めていないシエルを、チエロが慌てて遮る。   後ろを向いていて、どんな表情をしているかは分からない。   が、たぶん、面白い顔をしているんだろう。   想像したキリンは愉快な気持ちになってきた。   この男が取り乱している姿なんて、珍しいものを見られる機会は今後一切ないかもしれない。  「へーそうなんだ? チエロ」   背を向けるチエロを覗き込むようにして声をかけてみた。   が、また背中を向けられてしまい、結局どんな表情をしているかは見てとることができない。  「俺のことそんなに心配した? なぁーなぁー。心配したんだろ?」  「いやあのその。それはその」  「……ふっ」   こらえきれなくなったキリンは、腹を抱えて笑い出した。   うなだれるチエロをよそに、周りに笑いの花が咲く。   彼らと一緒にいれば、笑いが絶えることはない気がする。   そんな楽観的な思いさえ、素直に持っていられる。   ふところにしまった小さな箱の存在を思いながら、キリンは、明日もあさっても、   笑いながら生きていくだろうことを確信していた。
Postscript

ROサキュバスさんは金髪でしたよねー。 でもあれはグラフィックの都合上であって、実際は髪色とか顔とか個体差があると思いたいです。 あとROの世界観よくわからないんですよね… モンスターの縄張り争いどうこうもちょっと自信ないです。 ブラウザバックでお戻りください。